「流動体について」のストリングスアレンジ

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近田春夫氏がストリングスアレンジについて言及していた。

今時、弦はシンセの打ち込みでもかなりなことが出来るのだが、やはり人間が演奏をしないことには不可能な領域はある。このスリリングなアレンジを聴くと、つくづくそう思えてくる。いや、実際、最近のjpopでこの曲を超える弦はちょっと見あたらぬ。※文春オンラインより

 

10年前まではそう言えたかもしれない。

しかし、現在のPC音源というものはとても発達していて生なのかシンセなのかわからないものもザラにある。

それはプロのバイオリニスト等が高性能のマイクで録音したものをシンセというよりサンプラーというものに読み込ませて使っているからである。

シンセとは厳密には音を合成して楽器をシミュレートするためのものであり、偽物にすぎなかった。

ということを加味した上で、小沢健二は何故ストリングスの生録音にこだわったかということも含めて考えていきたい。

 

■「オン」へのこだわり■

 

ラジオのきらクラ!で彼は「オン」へのこだわりを語っていた。

マイクを楽器の近くに立て、余計な残響を排除した状態のことをオンマイクと言い、

少し遠くに立て、残響や空気感を含めた状態を「オフ」で録音すると言う。

オフならば誤魔化しが少しは効くが、オンだと輪郭くっきり。今のデジタルTVのようだ。

細かい息遣いや弦が擦れる音。そういうのも伝わって欲しいとのこと。

つまり、ハイレゾな音。とここでも言っておこう。

 

■感覚で伝えた小沢と理論的に昇華した服部■

 

近田氏は文春オンラインでこう〆ていた。

小沢健二の編曲もすごいことになってきたと思いクレジットを見たところ、さすがに弦アレンジは専門家だったけれど、だとしてもだ。では――たとえば口三味ですかね?――どう発注すればこのような譜面になるのか?

 何度か曲を聴き直したが、そこの部分はまだ私のアタマのなかでブラックボックスのままなのである。

 何度か曲を聴き直したが、そこの部分はまだ私のアタマのなかでブラックボックスのままなのである。

 

そのブラックボックスは「超LIFE」に答えがある。

 

この曲のストリングスアレンジは「LIFE」の時の服部隆之だ。

「LIFE」の時、小沢健二は服部氏に無茶苦茶なディレクションをしたらしい。

「ぼくが旅に出る理由」のストリングスアレンジについて、小沢健二は楽譜に鉛筆で波のような線を描いた。

ここでストリングスのラインが上がりここでは下がる、それを音符ではなくざっくりとした線で描いた。

ストリングスは基本4パートからなっていて、トップから1stバイオリン、2ndバイオリン、ビオラ、チェロという構成になる。

クラシックの理論から言うとトップのバイオリンが上向したらチェロは下降するのセオリー。

当時そのことを知っていたか知らなかったかはわからないが、ともかく速く細かいラインと上下激しいフレーズを望んでいたような話を「超LIFE」のインタビューで服部氏が語っていた。

そういったオーダーが今までなかったので不安だったらしいが、出来上がった時の素晴らしさに驚いたという。

 

■ストリングスにおける「LIFE」と「流動体」の共通点と相違■

 

「ぼくが旅に出る理由」と「流動体について」のストリングスアレンジが似ていた気がしたので聴き比べてみた。

 

まずは共通点について。

・トップノートがとても高い

1st,2ndバイオリンがとても高い音まで駆け上がっていったり、そこでキープしたりする。

 

・対旋律として使われることが主

伴奏として和音を奏でて曲に厚みを出すというより、歌ともう一つのメロディとしての意味合いでアレンジされている。

次は相違点。

・とにかく音が太い

「流動体」にはホーンセクションが入っていない。

その分ストリングスに前述した4パートを上から6-6-4-2人使って物理的に音に太さを出したのだ。

※通常のポップスだと4-4-2-2が多い

更にミックスの段階でエンジニアがストリングスセクションの存在感を出す施しをした可能性もある。

そしてより「オン」な響きに聞こえた。

この曲についてはストリングスをフィーチャーしたかったということがわかる。

 

・音の強弱の強さ

メリハリがとてもある。

音自体は終始ロックの様な太さながら、引くところと出るところの差が激しい。

ここに関してはクラシックの要素である。

 

■「流動体」ストリングス総評■

 

個人的にはとても好きだ。ロックを感じた。なんとそれはストリングスからだ。

ストリングスからロックを感じることはなかなかない。

そしてそれは打ち込みのストリングスでは表現できないものだ。

もしかすると彼は最初からそういうことを狙っていたのかもしれない。

(どちらにせよ生で録音したとは思うが)

 

和音でということよりもギターやベースとユニゾンしたり強弱で印象付ける。

音の重ね方としてはシンプルだが、そういった点がこの曲のストリングスアレンジへの評価に繋がっているのだろう。

 

※総合的な楽曲の分析はこちら

papapapapuffy1997.hatenablog.com