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オザケンをイイという人

小沢健二

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オザケンがカムバックして一週間以上が経ち、周りの反応も段々見えてきました。

 

僕の周りでは否定的な意見はほとんどなく、同世代だと「やっぱり『何か』いいよね」という意見が多かったです。

 

オザケンについてコアなファンじゃない人が考えるのは、

 

・明るい

・ポップ

・幸せそう

・育ちが良い

・頭が良い

・そんなに歌は上手くない

・歌詞がよくわからない

 

というイメージ。

これは「LIFE」を出した頃から「指さえも」辺りまでのイメージが根強く残ってるんだと思います。

「ある光」と「春にして君を想う」を聴いて「明るい」とか「幸せそう」には繋がらないでしょう。

チャートを賑わせていたのも95年辺りまでで、それ以降は「ほとばしる幸せ全開若手ポップ!!」という感じではなくなりました。

当時中学生だった僕は「オザケン最近そんなに勢いないな」と何となく感じていました。

それは恐らく「LIFE」~「痛快ウキウキ通り」の彼のすさまじい熱量をビンビンと感じていて、それが普通だと思っていたからこその「勢いないな」という印象だったと思います。

 

以前記事にも書きましたが、「LIFE」が発売されたとき僕は彼のファンではありませんでした。

はっきりと認識はしていましたが、冒頭に書いた一般の人のイメージと全く同じだったと言えます。

 

しかし、大学時代の2004年に「愛し愛されて生きるのさ」が使われたCMをTVで見て、衝撃が走ったのです。

youtu.be

この沢山のカップルがキスをしているCMに彼の曲。

 

すぐにTSUTAYAに向かい「LIFE」を借りました。

フルでこの曲を聴いて、「痛快ウキウキ通り」のときとは印象が変わったんです。

中学の時、馬鹿みたいに明るくてふざけたイメージだった「オザケン」。

それが「『何となく』素敵ないい歌詞を書く人なんだな」へと。

 

歌詞カードを見ながら聴くことで、素敵なフレーズを沢山発見したからです。

 

通り雨がコンクリートを染めてゆくのさ 僕らの心の中へも浸みこむようさ

この通りの向こう側 水をはねて誰か走る

 

僕は本を沢山読むわけではありませんでした。

しかし「何となく」すごくイイと思ったんです。

 

今なら色々説明をすることができるかと思います。

ただ、説明が要らないんです。

知らない人でも「何となく」良いと思える普遍的魅力が彼の曲にはあると思いました。

そういうところをタモリさんは「難しいことを簡単に」と捉え、彼を魅力的と感じたのではないでしょうか。

 

彼を知れば知るほど彼の魅力にハマり、今ではフリークと化しました。

そんなフリークの人たちは歌詞について深く考察したりディスカッションしたりしながら解読していくことも一つの楽しみとしています。

でもそんなこと忘れて曲を聴いても何故か鳥肌が立つことがあるんです。

 

歌詞でオザケンが何を言ってようが、「何となく」聴いても「イイ!」と言えるのが彼の曲の魅力だと思います。

そういう意味で「何となく」では「ん?」となる方向に向かい始め、程なくして彼はアメリカに向かいます。

何となくでは一般のリスナーが楽しめなくなっていました。

彼はそれを気付いていたはずだし、作りたいものと求められるものを天秤にかけた場合、作れなくなったのだと思います。

それをアウトプット過多になってしまっていたとTVで話していました。

 

戻ってきたオザケンが「流動体について」をMステーションで歌うのを聴いて、僕はまた「なにこれ、『何か』めっちゃイイ!!CD絶対欲しい!!!」と心から思いました。

ここの記事で歌詞の解釈を散々書いて言うのも何ですが、何となくでもいいものはいいんです。

SNSやメディアの声を聴いていると平成生まれの若者たちにも少なからずそう思った人がいたようで、恐らく今10年以上前の自分の様に聴き漁ったり読み漁ったりしてる人が日本全国にいると思います。

 

ファンではない人もヘビーリスナーも心からワクワクさせる小沢健二

そんな存在が今のポップシーンには少なかったし、求められていたのでしょう。

歌詞の通り、意思は言葉を変え 言葉は都市を変え始めています。

本当の意味で日本のポップシーンをまた新たな方向へ進めてくれるのではないかという期待とワクワクが止まりません。

この記事を読んでくれている方なら同じように、きっとそう思ってくれているのではないでしょうか。