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小沢健二「流動体について」歌詞解釈

小沢健二

 

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メディアの意見をシャットアウトしたつもりが、色々耳に入りました。

否定的な記事、書いているライターの方もいました。

「音楽的に」とか「年齢的に」とか。

 

でも僕はこう思います。

一つの曲をリリースしただけで、ここまで世の人達が歌詞の意味や、作り手の意図を汲み取ろうとすることがありましょうか。

少なくとも僕はないです。

子供の頃必死であらゆるアーティストの歌詞の意味を考えたことはあります。

ただそれは世を知らない子供ゆえの行動であり、成人を迎えてからそんな機会はほぼ消えました。

そんな沢山の大人たちに考えるきっかけをくれる人。

それが小沢健二であります。

 

歌詞の解釈を完璧にだなんて本人以外はあり得ないのです。

場合によっては本人すら定めていないかもしれません。

だから沢山の解釈が出ます。

でもそれでいいんだと。

きっと彼も「そういう風に捉えたんだ!」なんて言ってくれると思います。

だって彼の作品を心から考えているファンのことは彼が一番わかっていますから。

 

前置きが長くなりましたが、ここからは「間違い」を恐れず、大胆に決めつけて書いていきます。

もし、それ違うんじゃないかな?とか意見があったら遠慮なくコメント戴きたいです。

そうやってオザケンファンとディスカッションするのも楽しみの一つですから。

 

「流動体について」

聴いてから、何度も何度も考え続けました。

やっとしっくりくる彼の考えに辿り着けたと思います。

 

結論から言うと、この歌で一番キモなのは「決意」。

それは「良い」と「確信」できるからこそ至る「能動的行動」。

 

沢山のキーワードと共に解釈します。

1・「間違い」=主に過去に正しいと確信していたもの・こと

2・神=自然の摂理

3・君=かつての「仔猫ちゃん」

4・カルピス=彼の二人の子供

5・意思=確信

6・流動体=絶えず変化し続ける小沢健二自身

7・蜃気楼=素敵な思い出や並行世界

8・夜の芝生=ベッド?奥さんエリザベスを象徴するもの?

9・無限の海=無限にある並行世界

10・宇宙の中=自然の摂理の世界の中

 

1の「間違い」については彼が先日、TVの対談で話していた通りです。

「間違いに気付くことって重要ですよね」と心をこめて話していました。

彼はアメリカや第三世界に関わることで日本の良さについて外から気付きました。

例えば「謙虚さ」。

昔メディアで「塾とか行かずに東大!」とか「書庫がある」とか、勿論尊大に振る舞っていたわけではありませんが、一部の人からは非難の対象とされていました。

そんな彼は謙遜する美徳を学び、変化したのです。

Mステーションでは終始謙遜する彼がいました。

それが視聴者にどう映ったかはわかりません。

しかしそれは彼が意思決定した「確信」ということは間違いありません。

 

2の「神」について。

これはいつも彼が「神様」と言っていたものとは違います。

彼が「神様」と言及した歌詞は全て「理想」の象徴でした。

 

天使たちのシーン

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように

「ローラースケート・パーク」

神様がそばに居るような時間続く

「強い気持ち・強い愛」

溢れる光 公園通り 新しい神様たちがパーッと華やぐ魔法をかける

「ある光」

神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献

 

等です。

しかし、「神」の手の中にあるのなら「良いこと」を決意するぐらいしかない。

と詞には書かれています。

先日のTVインタビューや自身のwebでも「歴史というものはすぐに変わらない」や「リセットボタンを押すように人は変わらない」、「時代劇と仮面ライダーの『戦闘』は見てくれは違うが根本の立ち振る舞いは同じ」というようなことを言っています。

とはいうものの、

「世の中はテクノロジーと相まった価値観の変化やら何やらごっちゃになりながら、いつも変わっていって、それ以前の「当たり前」って、今もいつも問われます。発売の手順だって、宇宙の法則でも何でもなくて、変わっていきます。」ひふみよより

とも言っています。

世の中は変わらないものも変わるものもあるけれど、もしそれらさえも決まっていて、「神」=「自然の摂理」のようなものがあると「仮定するならば」、大切なのは決まったことに流されているということではなく、自分の「意思」で「決意」したと「確信」する能動的な行動だと言っているのではないでしょうか。

 

3の君はかつての「仔猫ちゃん」でいいと思います。

彼女との恋愛を「間違い」-本当の意味の間違いではなく、結果的にそうしてよかったということ-

と認めなくては現在の家族への肯定にはなりません。

「もしも~ならば」という妄想が止まらないんですね。

これは彼の想像力が豊かなせいでもあります。

並行世界が沢山彼の中にできてしまう。

今いる子供たちも違う人と結ばれていたら違う子供だったのか?なんて妄想もしています。

 

そこに4の「カルピス」が登場します。

この「カルピス」の味が不思議を問いかけてくると。

後半にも「誓いは消えかけてはないか?深い愛を抱けているか?」ほの甘い「カルピス」の味が問いかけてくるみたいです。

文脈からして子供の飲み物の「カルピス」が彼の二人の子供を指していることがわかります。

そういった彼らの存在を消してしまう妄想に少し良心が痛むといった意味にも聞こえます。 

子供を象徴する「カルピス」が「パパ、だいじょぶ?」って問いかけてくる。

 

次に曲の雰囲気が変わる転調部分。

 

「だけど」「意思」は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく

逆接です。

色々な並行世界の妄想をした。しかし、人々の「意思」=「確信的な決意」は言葉(その国の言葉の使い方や根本的にしゃべる言語[日本語⇒英語等])すら変えてしまい、その影響は都市をも変えるものになると言っています。

日本が欧米化していることや、アメリカ・イギリスがドメスティックになっていること等だと思います。

 

その後に「流動体」が出てきますね。

いよいよタイトルの言葉です。

そもそも流動体とは?

気体と液体の併称。流体。
流動する性質をもつもの。流動しやすいもの
大辞林より

辞書ではこう書いてありますが、勿論そのままの意味ではないです。

アメリカに渡ったオザケンはいくつかの「間違い」に気付き直し、妻に出会い、子供にも恵まれました。

気付かなかった日本の良さに気付いたり、20代の「オザケン」とは変わったのです。

しかしながら並行世界のことを考えてしまったりする。

自分の意思で決定してきたことに責任を持っているはずですが、「もしも」を考えてしまう。

まさに流動的。彼自身が液体や気体のようにふわふわしてる印象です。

 

「流動体」とは変化し続ける小沢健二自身のことを言っているようです。

 

人々の意思が都市をどんどん変える中、彼自身も形を変えていく。

そんなとき数学的、美的に「蜃気楼」が炸裂します!!!!!笑

 

本当にリスナーにも色々炸裂させてくれてます。

ありがとうオザケン

 

本題に戻ります。

数学的、美的表現ができる「蜃気楼」について考えると「素敵な思い出や並行世界」と想像できます。

彼は数字で物事を覚えている特性があります。余談ですが、僕も同じなのでとても気持ちがわかります。

youtu.be

「インタビューは、1998年に小泉今日子さんとワインの対談をしたのが最後で・・・」

 

 

「TVに最後出たのは、1998年元旦、お正月の夜のバラエティ番組に・・・」

 

数学的に覚えてますよね。

数字と思い出や記憶がリンクしてる方なのです。

そして思い出は美化されるとはよく言うもので、「20年前の恋」だとか「1994年のクリスマス」だとか(筆者の想像による例です)、当時の仔猫ちゃんとリンクしてくるものがあるのだと思います。

そんな「素敵な思い出」や、あったかもしれない「素敵な並行世界」への妄想が彼を襲ってくる。

更にはそれは彼だけにとどまらず、恐らく彗星の様な勢いで彼女のところまで波及する。

同じ人間ですから同じことが起こるだろうというニュアンスだと思います。

しかしそれはあくまで「蜃気楼」なんです。幻です。

そうはいっても幻に騙されたり揺れ動くことはあります。人間ですもの。

 

そんな美しい蜃気楼が「夜の芝生の上」舞い降りる時に「誓いは消えかけてはないか?深い愛を抱けているか?」カルピスの味が問いかけてくるのです。

子供への良心が「ぼくたちをあいしてる?ママをこれからもずっとあいしてる?」と尋ねてくる感じだと思います。

ここで「夜の芝生の上」という表現に悩まされました。

ただ単にオザケン自身がその時見た風景を表しただけかもしれません。

もしくは「夜の芝生」=ベッドではないかと。

夜寝るときに一緒に芝生に寝転ぶ人は奥さんですよね。

これは自信ないのですが子供だけでなく、はっきりとした奥さんの描写も入れて欲しいという希望的解釈です。

そうするとここは綺麗に繋がります。

しかし一度目の転調部分では答えは出ていません。

二度目の「意思は言葉を変え~」に移ると答えは用意されています。

 

夜の芝生に美しい蜃気楼が舞い降りた時、並行世界なんていう無限の海(世界)は果てしないのだけれども、それほど怖さはない

それは奥さんと一緒に一生を共にするという約束に「確信」がはっきりと見えたからでしょう。

カルピスにもう一度現状を問いかけられたところで、「OKよ!!」なんて強がりではなく言うのだと思います 。

 

その後繰り返し、

 

神の手の中にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう

 

と言っています。

「だろーう!」なシャウトが良いです。何かギュッとつかむものがあります。

決まった自然の摂理があってその通りに世の中は進むにしても、自分できちんと考え、良しと思ったことを 自分で責任を持って能動的に「決める」ということが大切なんだ

ということでいいでしょう。

 

最後には

 

無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない 宇宙の中で良いことを決意するときに

 

で〆ています。

自分で自信を持って決めて行動すれば、たらればの並行世界なんて怖くない。

だって絶えず変化はしている僕だけど、家族たちとずっと一緒に居るという確信があるのだから。

このようなまとめでしょう。

 

この解釈を逆手に取ると、今「確信」はあるけれど変わる可能性を孕んでいるということにもなります。

そう言われたらこう返して欲しい。

「知らないよそんなの!世の中がどう進むか決まってたらそのように動くんでしょ!そうだとしてもエリザベス、りーりー、アマヌとずっと一緒に居るって!!!これだけ確信してたら全く怖くない!!!!」って。

 

なんて書いたけどオザケンならばもっと格好良い表現方法でもっとウットリする伝え方をするのでしょう。

 

これが自分なりの「流動体について」の解釈です。

オザケン小沢健二ファンの方々はとても深く質が高いということを存じております。

彼と彼のファンの皆様への敬意は欠かぬよう注意を払いましたが、もし失礼ありましたらご容赦くださいませ。

長い間お付き合いありがとうございました。

 

※楽曲分析はこちら

papapapapuffy1997.hatenablog.com