「間違い」に気付く
小沢健二の「流動体について」の歌詞解釈。
私なりに考えていたのだが、その歌詞の通り私自身の解釈が既に間違っているように思った。
彼の曲について解釈する上で、やはりもっと情報を集めるべきだった。
他人の解釈はさておき、彼自身が発信しているものは漏れがあってはならなかった。
「流動体について」前半の歌詞解釈をしていたとき、自分は彼のWeb Siteに載っている新聞のモノローグを読んでいなかった。
これを読むのと読まないのでは大分変わってしまう。
勝手ながら改訂版を書かせて頂きたいと思う。
間違いに気付くことは大事と彼も言っていたということで、戒めの為前回の記事はそのまま残しておくことにする。
そもそも、彼の歌詞を断片的にとらえすぎることはよくない。
まず彼は何故シングルを出したのか。
そして、何故メディアにも精力的に出演し始めているのか。
そこから考える必要がある。
シングルを出すという意味での「復帰」はどういう意味があるのか。
彼はサイトで
ー「魔法的」ツアーで観客から、ステージから、もらった曲ー
と表現している。
自分だけでなく、そこにいた観客やステージのみんなと一緒に作った曲。
ーーーそれをシングルCDという形に残すーーー
デイリーランキングで4位になったこの曲は1995年発売の「痛快ウキウキ通り」と同じランキングだそう。
今日本を台風の渦に巻き込んでいる彼の曲は「たったの4位」なのだ。
彼に言わせるとその「4位」の人たちの質(恐らく熱量やハマり方のこと)、が彼の曲を「スタンダード」としているとのこと。
スタンダードというのは100万枚売れてもそうなれるとは限らなくて、10万枚なんだけど、100万枚の曲以上に聴き手を質的に魅了し、教科書には載ってしまう。そして語り継がれる。そんな曲。
みんなで作った曲をスタンダードナンバーとしてレコード(CD)にする。
それはわかりやすく後世に伝えようという意志表示だろう。
ダウンロード販売やストリーミングが主流となった今、「現物」にする意味というのはそういうことなのかもしれない。