小沢健二、ニューシングル
先日、小沢健二がゲリラ的に日本を騒がせた。
友人と渋谷で向かえた朝、始発を待つ二人は閉まったTSUTAYAの透明な自動ドアから「小沢健二」と「ニューシングル」の文字を目撃する。
その夜ミュージックステーションに彼はいた。
流動体について
今は小沢健二と私の出会いはさておき、この曲の歌詞について独自の考えを書きたい。
独自というのはこの曲について今現在、メディアやSNSでの言葉をシャットアウトしているからだ。
小沢健二という人が動き出したとき、それは宗教になり、盲目になることが多い。
もし今度彼が曲を出したら、まずは自分だけの解釈を。
と決めていた。
自分だけの解釈と言っても、彼へのある程度の知識がなくては理解できないだろう。
特に女性の「オザケンフリーク」の方々と比べると私など足元にも及ばない。
しかしながら、音楽に関わっているという視点からならばまた違ったアプローチが出来るのではないかと考えている。
流動体についてを最初に聞いた感想は、とにかくメロディが終止に向かわないなということ。
普通のポップスはある程度のセクションの切れ目で終止音(キーがCメジャーならばC【ド】の音)にメロディを落とし、曲を一度安心させることが多い。
少し専門的な話になるが、終止音に落とすにしても次に続く含みを持ったコード(ハーモニー)と組み合わせているので、終わった感じにはならず、息をつく暇がない。
ほとんどそのままエンディングまでなだれ込むのだ。
そこに膨大な量の歌詞。それはいつもと変わらないですが、ここまで終始させないというのは今まで最長と言えるのではないか。
次回は詞について踏み込みます。