「アルペジオ」歌詞の好きなところ
「魔法的」に行ってから2年近くが経つ。「流動体」が衝撃的過ぎて「フクロウの声が聞こえる」にそれほど心踊らされず。
しかし岡崎京子の「リバーズ・エッジ」と共に「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」がやってきて、また心動かされた。
小沢健二とは文脈が必要なアーティストである。
彼を知らない10代が曲を聞いたところで歌詞の意味は解らない。
彼の凄いところはその「文脈」がなくても人を引き付けることができるところにある。
今回のアルペジオで言えば不思議な台詞パート。とはいえラップとも言える要素も多分に含む。オフビート(裏拍)からの言葉、三連符。
そして不思議な雰囲気を出す一番の要素。吉沢亮の淡々とした喋り方、促音便の省略。
音源では小沢健二が歌っている訳ではない部分だが、とても気になるだろう。
好奇心がある人ならば、きっと何を言っているか調べる。
そこには 彼女がファックスや雑誌の記事を捨てる とか、古い友と結婚して離婚した とか、「インタビューとかでは何も本当のこと言ってないじゃない」なんて意味深なものが。
長い間の小沢フリークならばすぐにピンとくるのだが、何も「文脈」を知らない人は小沢健二のアリジゴクにハマる。
台詞だけでは飽き足らず、歌詞全体を知りたくなる。そうすると小沢健二のことや彼を取り巻いていた人物達のことも気になってくる。
勿論主題歌となっている「リバーズ・エッジ」、岡崎京子のことも。
この曲が曲だけにとどまらないのはそういう部分であり、それが小沢健二だ。
流動体のときはこれでもかと言うほど歌詞を分析した。
沢山の情報も集めて色んな人と議論もした。
しかしこの「アルペジオ」については、議論することが無粋に思えてきた。
自分が知っている範囲でこの歌詞を咀嚼したいなと。
そうやってこの歌詞を感じていった。
岡崎京子が絵を描く原宿に行って、二人で買い物をしている。
レコード屋にでも入ったのか。
「あ、このレコードいいな!」なんて少年の様に言っている小沢健二を見て、「わたしはこれ買おっかなぁ~」とイタズラな笑顔で「オザケン」のCDを指さす岡崎京子。
「消費する僕」と「消費される僕」。
このやり取りを想像すると堪らなかった。
電話がかかってきたとてもとても長い夜。
それは岡崎が病院に運ばれた時。そこに駆けつけた彼が小さな声で彼の詩を歌いかける。
しかし、悲しみで声にならず声が震える。それでも彼は時間の許す限り全力で歌い続けた。
こういう風景を歌詞から想像する。
彼の曲は曲であり、詩であり、映画であり、哲学である。
本当に大切なものは?常にそれを忘れずに生きていきたい。