小沢健二「So kakkoii 宇宙」は届くのか?

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So kakkoii 宇宙

 

「幸せ」という言葉を使うのは難しい。

それは誰もが感じたことがあるもの。
しかしそれを感じる瞬間は人によって様々だ。

幸せへの感度と金銭的な貧富は関係ないように思う。
重要なのはきっと思考的な技術。

小沢健二は昔から変わらずに、あの手この手で、それを伝えようとしているのではないか。


小沢健二が2019年11月13日にNEWアルバム「So kakkoii 宇宙」をリリースした。

宇宙=秩序、辞書にはそう書いてある。

「So kakkoii 宇宙」の「震源地」をさかのぼると、2017年2月22日(21日)「流動体について」のリリースにたどり着く。
これはファンにとっては衝撃的なことだった。
彼の歌が入ったNEWシングルなんてもう聴けないと思っていた人も多かったはずだ。
1997年の「ある光」のリリース(98年の「春にして君を想う」と言ってもいいが)を最後に旅に出て、彼はこの世を去ってしまったかのようだった。
アルバム「Eclectic」のリリースやUstreamでの報告、オペラシティのコンサート、2014年の「笑っていいとも」出演。そういったものはあった。
が、何故かこの世界にいる気がしなかった。

1990年代に彼がほとばしらせた輝きはまさに太陽だった。
そんな太陽が急に光ることをやめたのだ。正確に言えばわずかに光は発していたのかもしれない。
しかしこれまでの圧倒的な輝きを知っている「宇宙」からすれば、その太陽は消滅してしまったかのようだった。

その間、「宇宙」では20世紀が終わり、21世紀を迎えた。
具体的にはインターネットの発達、アメリ同時多発テロや国際金融危機スマートフォン等新しいデバイスの誕生、SNSの登場など大きな出来事が相次いで起きた。
日本に限っていえば、国際金融危機を発端とする慢性的不景気(メディアによる不景気の報道が過剰だったため、必要以上に日本列島自体が不幸を感じていた気もする)からくる日常的不安、泣きっ面に蜂とでもいうかのごとく襲ってきた東日本大震災

勿論、地震に関してはそれだけでなく、北海道、新潟、熊本など書けばきりがない。
95年の地下鉄サリン事件阪神・淡路大震災も含めると不幸だけが続いているかのように感じても仕方がない。


そんな中、2017年2月21日の朝日新聞朝刊にそれは出現した。

「言葉は都市を変えてゆく」

小沢健二、19年ぶり新作シングル本日発売。

「彗星の如く現れる」という言い回しをここに使わないでどこに使おうか?
「流動体について」、そして「神秘的」の歌詞が載っている。
そしてモノローグも。
忘れてしまった方は読み返して欲しい。
「So kakkoii 宇宙」に全て繋がるはずだ。
完全版を読むことをお勧めするが、要点をまとめる。

 

-以下内容-

「ビバ、ガラパゴス!」

近年「日本はガラパゴス文化」と自嘲的、批判的に言われるのを聞くが、ガラパゴス、か。むしろ、なんて希少で、貴重で、心ときめく響きだろう。
--中略--
などと書くと「海外暮らしの人は、すぐ日本を過剰に賛美する」と、煙たがられるかもしれない。
でも、逆の見方をすれば、ずっと日本に住んでいれば当然、日本の悪い面が目につきやすいはず。
新聞には毎日、悪い話、暗い話多いはず。
そんな中、悪い面がさほど目につかないで済む海外暮らしの身だからこそ、
少々点を甘くしてでも「大丈夫、良いところもいっぱいあるよ。近すぎて見えないだろうけど」と伝える責任が、少しある気がしている。
--中略--

「歴史の連続性」

以前「第二次世界大戦後、日本は(あるいは、ドイツは)民主主義国家として、新しいスタートを切った」というお決まりの歴史解説がピンとこない、と書いたことがある。
今も、そう思う。
国なんて大きな人の塊が、リセットボタンを押すように、それまでの動きを完全に停止して「新しいスタートを切る」なんてことができるんだろうか?
現実の中には大きな慣性があって、文化や精神性は、いや生活は、あんまりかわらないんじゃないだろうか、と。
--中略--
歴史は、文化は、連続している。
では、どこまで?

「遠い起源」

今の僕らが持っている、驚異的な(いや、本当に)「ハイレズ・ジャパン」の高解像度文化の起源は、ずっとずっと昔にあるだろう。
--中略--
その起源を追っていくと、それは遠く遠く、霞の中へ消えていく。
無の中へ。
その、ものすごく長い時間の上に、僕らはいる。
その、ものすごく長い時間は、僕らを愛し、支える。
そして、その愛し方、支え方は、僕らの鼻についたり、腹の立つ原因になったりもするだろう。
--中略--
でも、両親が僕に、両親の両親が彼らに、僕が子どもたちに、愛を抱き、支えを誓っていることは疑いがない。
あなたの両親や、あなたの場合も同じだろう。
そうやって、時にめんどくさく、時にありがたく、愛が、歴史が、文化が連続していること。
良くも悪くも、連なり、続いていること。
その心強さと、嬉しさと、ちょっとした残念さ。笑
--中略--
そんな連続性のことを考えた。

-以上-


ここに「So kakkoii 宇宙」のすべてが載っているといっても過言ではない。

「彗星」では、1995年から来年の2020年まで、踏ん張ってきた「みんな」への労いの言葉を言うとともに、連なる歴史や暮らしの素晴らしさを称えている。
さらに、「嫌だな」、「不幸せだな」なんて思う時もあるが、近いからこそ盲目になるだけで、「そんなことない!そろそろ来るぞ!ワクワクする時代が来るぞ!だってこんなにみんなが宇宙の中で良いことを決意してきたわけだから!」と鼓舞している。

「今ここにある この暮らしでは すべてが起こる」し、「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく」わけで、「古代の未来図は姿を変え続ける」のだ。
そう、それは流動的なもの。

昭和の時代に汗水垂らして戦後を生き抜いてきた「愛」が作った直線的な魂の化身「高い塔」は、日本人の抽象的な感性のあり方を映す「神殿」、
そして曼荼羅であると言う。

小沢健二の哲学は、昔から仏教のそれと通ずるところが多い。
曼荼羅というのは大きな仏像を中心にその周りに少し小さな仏像が放射状に並び、さらにその周りにはまた仏像が、、、と続いていく絵図のようなもの。
この魔法の絵とも呼ばれる東洋の曼荼羅に西洋の心理学者ユングが注目した。
その理由は、臨床の現場で、患者が治療の過程で描く曼荼羅的な絵に、何度も遭遇したことに始まる。
そこからユングは、患者たちの見る夢の内容にも着目した。
すると曼荼羅を象徴するような夢が多いことに気がついたのである。
ユングは、人間の心の奥に得体の知れない何かが存在することを直観したらしい。
そして、この東洋の不思議な絵図を、単なる東洋人に特別な内面の表象などではなく、それが同時に、全人間普遍の宇宙観を示すものであると考えるようになったのだ。

日本人はそれを都市レベル、いや、国土レベルで表現しているのだ。
小沢健二はそれを美しいと言わずにはいられなかった。

その後も時代が変わろうと、人々は学び、働いている。
それが新しい宇宙を創っている。
そういった「良いこと」から、文化や歴史の繋がりの素晴らしさ、美しさが「薫る」のだろう。

最後の曲「薫る(労働と学業)」が終わった後、アルバムをリピートしておくと、1曲目の「彗星」の歌詞に繋がる。


  そして時は2020 全力疾走してきたよね


そう、このアルバム自体も円く繋がっているのだ。

「So kakkoii 宇宙」が本当の意味で、より沢山の人に伝わって欲しい。